どこかに行こうか
昔から、まだ私を深く知らないはずの人にもよく言われる言葉がある
「君は目を離したらどこかに行きそうだね」
まさにその通り。
実際問題何回も逃走を図っては大目玉を食らっている。
流石にこの歳でそんな無謀な事はしないけど、問題にはならない範囲で現実逃避はしている。
お前は、目を離したらどこかに行きそうだ。
以前…といってももう随分と前だけど、に、付き合っていた恋人は、よくそう口にした。
私が大学へ行こうとすると決まって「必ず帰ってこい」と念を押した。
彼は私が過去に家出を繰り返した事も知らなかったし、私も仕事に忙しい彼を悩ませまいと自分の話をした事も無かった。
そういう人にすら、私はすぐいなくなるような印象を与えていたらしい。
私はそれ以降、いなくなりそう、な雰囲気を消す事に努力した。
努力の成果か、それ以来しばらく、「いなくなりそうな私」について話がでる事はすっかりなくなっていた。
私自身も、すっかりその言葉を忘れかけていたころだった。
あの日のこと、
ある人と話をしていたときに、自分の「いなくなりそう」な雰囲気に関して言及されて、するりと本音を零してしまった。
「私にとって、ここは足枷なんです。」
「行きたい場所があるのに、人の為に足枷を嵌められている」
「足枷に思うなら、外してしまって良い。」
零した本音にそういう答がかえってきて、私はふとこれまでを思い返した。
自分を引き留めようとする人は沢山いた、友達、家族、恋人、先生…
でも彼らや彼女らの引き止め、はいずれも「自分のため」だった。
とくに、私の身体を暴力でねじ伏せた家族にとっては、私はなくてはならない丈夫なサンドバッグだったんだろう。
「自分のため」を「あなたのため」と言い換えられ引き止められる事に失望していた事にその時になって初めて気付いた。
そして目の前のこの人は、自分の人生で初めて、「私」を考えている人だとわかって思わず見つめ返してしまった。
同時に、
どこかに行きそう、が実際になってしまったら、私はもう帰らない事もその人は見通していた。
足枷と思うなら、いなくなりたいなら、いなくなる選択もしていい。
これ以上無理をしたら、あなたは自分の人生を生きれなくなる。
そんな優しい言葉に、初めて声を上げて泣いた。
どこかに行きたい、ひとりでもいい。
ここから離れて、とおくに。