愚の骨頂
愚の骨頂
日本人の大好きな事第1位、非効率的。
私はこれが死ぬほど嫌いで、どちらかと言えばお金を払って解決できる事はお金を払って解決すべき、が持論だ。
お金はそもそも自由を得るためにあるものだし、その為に使わないでどうする、と思ってしまう。
ましてや使える余裕があるなら余計に。
たとえば月数百円払ってバックグラウンド再生とオフライン保存ができるなら私はお金を払うし、次の日すぐ荷物が届くなら400円毎月払う。
ある程度お金を払えば多少の不便が解決する話を、払わないでキーキーいっちょ前に全方位に文句ばかりつける姿は本当にアホくさい。
食洗機を買えば済む話を3時間かけるような友人宅の話のように、お金を出せる癖に出さずにわざわざ不便ばかり選ぶのはいったい何故なのか。
ドMなのかな?
どこかに行こうか
昔から、まだ私を深く知らないはずの人にもよく言われる言葉がある
「君は目を離したらどこかに行きそうだね」
まさにその通り。
実際問題何回も逃走を図っては大目玉を食らっている。
流石にこの歳でそんな無謀な事はしないけど、問題にはならない範囲で現実逃避はしている。
お前は、目を離したらどこかに行きそうだ。
以前…といってももう随分と前だけど、に、付き合っていた恋人は、よくそう口にした。
私が大学へ行こうとすると決まって「必ず帰ってこい」と念を押した。
彼は私が過去に家出を繰り返した事も知らなかったし、私も仕事に忙しい彼を悩ませまいと自分の話をした事も無かった。
そういう人にすら、私はすぐいなくなるような印象を与えていたらしい。
私はそれ以降、いなくなりそう、な雰囲気を消す事に努力した。
努力の成果か、それ以来しばらく、「いなくなりそうな私」について話がでる事はすっかりなくなっていた。
私自身も、すっかりその言葉を忘れかけていたころだった。
あの日のこと、
ある人と話をしていたときに、自分の「いなくなりそう」な雰囲気に関して言及されて、するりと本音を零してしまった。
「私にとって、ここは足枷なんです。」
「行きたい場所があるのに、人の為に足枷を嵌められている」
「足枷に思うなら、外してしまって良い。」
零した本音にそういう答がかえってきて、私はふとこれまでを思い返した。
自分を引き留めようとする人は沢山いた、友達、家族、恋人、先生…
でも彼らや彼女らの引き止め、はいずれも「自分のため」だった。
とくに、私の身体を暴力でねじ伏せた家族にとっては、私はなくてはならない丈夫なサンドバッグだったんだろう。
「自分のため」を「あなたのため」と言い換えられ引き止められる事に失望していた事にその時になって初めて気付いた。
そして目の前のこの人は、自分の人生で初めて、「私」を考えている人だとわかって思わず見つめ返してしまった。
同時に、
どこかに行きそう、が実際になってしまったら、私はもう帰らない事もその人は見通していた。
足枷と思うなら、いなくなりたいなら、いなくなる選択もしていい。
これ以上無理をしたら、あなたは自分の人生を生きれなくなる。
そんな優しい言葉に、初めて声を上げて泣いた。
どこかに行きたい、ひとりでもいい。
ここから離れて、とおくに。
普通
他人の普通は、いつだって血の滲むような努力をして得るものだった。
私自身がどんくさいのは否定しない。
なにをするにしてもとろいし、時間がか
かる。
勉強もまた然りで、ひとつを理解するのにかなりの時間を費やさなければならなかった。
日常生活だって本当に難しい。
他の人が当たり前にできる事が出来ないし、なにかにひとつやってるなら同時進行でもうひとつは無理だった。
そんないっぱいいっぱいの私を、本当に理解する人は少ない。
基本的に学校はとろい学生には手厳しい。
当たり前ができる人がほとんどの場所で、私みたいな学生はただただ迷惑な学生扱いだ。
私なんか学費くらいにしか思ってないんじゃないか。
そう思う事すらある。
普通、それがみんなみたいに出来たらどれだけか幸せか
努力もなしにできる諸々の全てを、私は取り上げられて生きてきた。
自力で努力もしたけど、無理なものは無理だとある日悟った。
所詮ない人はないまま生きるしかない。
普通が欲しい。
みんなが持っている普通が。
性癖
常に身軽でありたいと思っているし、その考えを割と実行している方だと思う。
身軽でありたい。
なんで、って言われそうだけど、ストレートに言うならば「いつでも死ねるように」これが本心。
別に死にたいほどなにかに深刻に悩んでいる訳じゃない。
だけど、生きている理由も見当たらない。
そんな感じ。
以前、死にかけた事があった。
アル中から抜け出せず、酔いが脳みそに綺麗に回っていた私は、死にたいという自分の素直な欲求を満たそうとしてしまった。
口に指を突っ込まれマーライオンの如く吐かされるのは二度と御免だが、アルコールと共に薬を大量に服用して意識が遠のきかけたあの瞬間は本当に幸福だったし、ゾクゾクした。
悲しみなど一切ない、ただただ純粋に死にたいという欲求を満たしかけたんだから、当然だと思う。
よほど死にたい欲求になんかしら理由があれば、まだいいのかもしれない。
でもない。
もはや性癖のように、その後も死にかけては人に助けられてギリギリで戻るという事を繰り返した。
こういう事を繰り返すと深刻な理由があると勘違いされて邪魔されかねない、そう思った私はある日から死のうとするのを辞めた。
浴びるように飲んでいたアルコールも辞めた。
最近、アルコールを口にする機会がまた増えて、ふと以前の事を思い出した。
以前とは違って周りには人がいる、恋人もいれば友達もいる、夢もある。
生きる理由はまあまああるだろう。
だけど相変わらず、死ぬ事への希望は強いし、死が欲しくて堪らない。
もはや性癖のように。
いつこの性癖が満たされるかはわからないけど、理由がなくなったら、或いは嫌になったら、そのときはお楽しみにしといたこの性癖を満たそうと思う。
悲しくはない、楽しみにしている。
少なからず、私は
美人
大学1年生のとき、大病を患って1ヶ月ほど入院した。
不幸中の幸いと言おうか、夏休みだったので出席を気にする事もなく療養に専念する事ができた。
大学病院の個室で過ごすという贅沢を与えられながらも
腹部を切られた私は体力の低さも相まって治りに人の倍時間がかかり、また治療の過程で伴う痛みに毎晩苦しんだ。
ある日の夜だったと思う。
日に3回までしか使えないモルヒネも既に使いきり、痛みに苦しみながらこの苦しさを誰かに慰めて貰いたい一心でFacebookに現状と、素直な心のうちを書き綴った。
書き終えてそのままアプリを閉じると、目を瞑りひたすら痛みに耐えながら朝を迎えた。
次の日の昼間、開いたFacebookには「悲しいね」だけの通知が1件。
その後目に入ったのは、風邪を引いて熱を出した同級生の投稿だった。
彼女は大学で一番の美人だった。
上京して友達がおらず1人で行動している彼女に声をかけた事をきっかけに仲が良くなり、気付いたら互いに親友と呼ぶ仲になった。
美しい彼女と度々容姿を比べられる事もあり引け目を感じる事はあったものの、友達として信頼していた。
しかし彼女の投稿を見た私は、そのとき本当に心の底から彼女を憎んだ。
熱を出したと書く彼女の記事には、たくさんの心配するコメントがついていて、中にはお見舞いに行こうかとまで言っている人もいた。
その中には、その人が具合が悪いとき私がお見舞いにいき、面倒をみた人もいた。
生き死にに関わるような手術をした私より、37度の熱を出した美人の彼女のほうがみんなは大事なんだろう。
その後も、私に対してなんの心配の言葉もかけられる事はなかった。
以前いた大学を辞めて、今いる大学に入ってからもう大分経過する。
退院してから、私は彼女との関係を絶った。
彼女に罪はないのはわかってたものの、それをきっかけにもうなんか全てが嫌になってしまった。
美人が誕生日を迎えれば自分は祝われなくても盛大に祝う癖に、
美人が病気になれば自分が面倒を見てもらってなくても大袈裟なほど心配する癖に、
私のような不美人が具合を悪くしても、落ち込んでも、大して心配しやしない。
いくら容姿を磨く努力をしても、所詮生まれつきの美人に適う事はない。
中身を見る人なんて、そんなの幻想だ。
今私は、有名な美容クリニックで整形手術を受ける事を真剣に検討している。
それを話せば、そのままでいいよ、と言ってくる人が必ずいるけど、どの口が言ってるんだ、と思ってしまう。
あのとき同級生達が
美人の彼女しか思いやらなかったように、
優しい言葉を美人にしかかけなかったように、
そう言ってきたあなた達も、美人にしか優しい言葉や誕生日の祝いの言葉をかけなかったのを、
私は知ってるんだから。
美人、いいなあ。
私も、美しく生まれたかったな。
アンチ朝
唐突だけど、朝は嫌いだ。
別に朝という時間帯に罪はないのだけれど、朝そのものに罪があると喚きだす程には嫌いだ。
前の晩にあった苦しいこと、悲しいこと、傷ついたこと、怒ってること
それらをまだ私は受け入れきれていないのに
「そんなこと忘れろ」
「気にしすぎだ」
と言う、気の利かない男のような態度をとる朝が嫌いだ。
部屋の隅で声を殺して泣いて、瞼が真っ赤に腫れて。
それでもまだ泣き足りないくらい悲しいときでも容赦なく太陽は昇る。
朝は来る。
まぁ当たり前の事ではあるけどさ?
でも徐々に色が混ざり、足され、明るくなりゆく空を見て
「ちょっとまってよ」
って気分になる。
よく、「明けない朝はない」とかいうけど私からしたら本当にいい迷惑。
せめて悲しみに沈んでる時くらい、暗闇の時間を延ばしてくれたっていいだろ。
ひとりにしてくれたっていいだろ。
こいつ泣いてるよ!って知らせんばかりに照らさなくていいだろ。
そう思う。
明るさに耐え切れない人間だっているんだからさ。
たまにはこなくていいよ。
朝。