美人

大学1年生のとき、大病を患って1ヶ月ほど入院した。
不幸中の幸いと言おうか、夏休みだったので出席を気にする事もなく療養に専念する事ができた。

大学病院の個室で過ごすという贅沢を与えられながらも
腹部を切られた私は体力の低さも相まって治りに人の倍時間がかかり、また治療の過程で伴う痛みに毎晩苦しんだ。


ある日の夜だったと思う。

日に3回までしか使えないモルヒネも既に使いきり、痛みに苦しみながらこの苦しさを誰かに慰めて貰いたい一心でFacebookに現状と、素直な心のうちを書き綴った。
書き終えてそのままアプリを閉じると、目を瞑りひたすら痛みに耐えながら朝を迎えた。
次の日の昼間、開いたFacebookには「悲しいね」だけの通知が1件。
その後目に入ったのは、風邪を引いて熱を出した同級生の投稿だった。

彼女は大学で一番の美人だった。
上京して友達がおらず1人で行動している彼女に声をかけた事をきっかけに仲が良くなり、気付いたら互いに親友と呼ぶ仲になった。
美しい彼女と度々容姿を比べられる事もあり引け目を感じる事はあったものの、友達として信頼していた。

しかし彼女の投稿を見た私は、そのとき本当に心の底から彼女を憎んだ。

熱を出したと書く彼女の記事には、たくさんの心配するコメントがついていて、中にはお見舞いに行こうかとまで言っている人もいた。
その中には、その人が具合が悪いとき私がお見舞いにいき、面倒をみた人もいた。

生き死にに関わるような手術をした私より、37度の熱を出した美人の彼女のほうがみんなは大事なんだろう。

その後も、私に対してなんの心配の言葉もかけられる事はなかった。

以前いた大学を辞めて、今いる大学に入ってからもう大分経過する。

退院してから、私は彼女との関係を絶った。
彼女に罪はないのはわかってたものの、それをきっかけにもうなんか全てが嫌になってしまった。


美人が誕生日を迎えれば自分は祝われなくても盛大に祝う癖に、

美人が病気になれば自分が面倒を見てもらってなくても大袈裟なほど心配する癖に、

私のような不美人が具合を悪くしても、落ち込んでも、大して心配しやしない。

いくら容姿を磨く努力をしても、所詮生まれつきの美人に適う事はない。
中身を見る人なんて、そんなの幻想だ。


今私は、有名な美容クリニックで整形手術を受ける事を真剣に検討している。

それを話せば、そのままでいいよ、と言ってくる人が必ずいるけど、どの口が言ってるんだ、と思ってしまう。

あのとき同級生達が
美人の彼女しか思いやらなかったように、
優しい言葉を美人にしかかけなかったように、


そう言ってきたあなた達も、美人にしか優しい言葉や誕生日の祝いの言葉をかけなかったのを、

私は知ってるんだから。


美人、いいなあ。

私も、美しく生まれたかったな。